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シンポジウム「50-60年代の芸術状況と松本俊夫」観て来ました。
『白い長い線の記録』『わたしはナイロン』上映後シンポジウムは始まり、
上映した作品の話から、実験工房での活動や『薔薇の葬列』について、
質疑応答では万博の「せんい館」の話題もありました。
『白い長い線の記録』は、大阪の電力会社のPR作品なのですが、
内容が実験的過ぎ、会社の上層部には全く理解されず、ずっとお蔵入りに
なっていたそうで、松本氏も湯浅氏も試写以来46年ぶりに観たと話していました。
実際、作品の中身は実験的であるだけでなく、電力会社に対する兆発?とも
思える内容で、原子爆弾のキノコ雲の映像から廃墟のオブジェが写し出され
(その次にアメリカの進駐軍の象徴として「ラッキーストライク」の映像があった
そうですが、それはカットされてしまったそうです)たり、透き通った人間の頭の
オブジェの中でネオン管が明滅していたり、会社の毎年増加してゆく総資産が
これでもかと画面に表れるなど、きわどいイメージが続きます。
一応、内容に対する会社側の抵抗だと思うのですが、冒頭にテロップが流れ、
未来のエネルギーとして「原子力」の必要性などの説明がありました。
ただ、そのテロップは後から付けられたもので、松本氏は初めて見たそうです。
湯浅氏による音楽は、ミュージック・コンクレートと楽団による演奏が使われていて、
ミュージック・コンクレートの素材には、クイーンエリザベス号の汽笛、白鳥の鳴き声、
潜水艦の探査音など多くの音を使用しているそうです。今のような機材は当然なく、
フィルター、エコー、スピードの変化といった限られた技術を工夫して、時間をかけて
丁寧に作ったと話していました。
当時、すでに湯浅氏は12音階による作曲はしていなかったそうですが、映像の為の
音楽ということで、楽団の音楽は12音階で作曲したそうです。
湯浅氏の音楽は、絵コンテを見て作られてもいるのですが、作品の中に偶然性を
持ち込むために、作曲して出来あがったテープを適当な長さに何本にも切り、
それらを箱の中でシャッフルし、ランダムに取り出したテープを張り合わせて使用
してもいるそうです。松本氏もフィルムで同様のことをしたそうで、
お互いに「意識がコントロールする世界からの脱出」ということを考えていたそうです。
『わたしはナイロン』も企業の製品のPR作品なのですが、こちらは幻想映画でした。
服飾デザイナーの男が謎の女を追って、砂漠や不思議な部屋などに迷い込んで行きます。
こちらの作品では、あまり挑発的なイメージはないのですが、それでもナイロンの
宣伝をしているレコードの針が飛んで、意味のないフレーズが繰り返され続けたり、
最後の最後で、男が抱きしめた女性がマネキンに変わってしまったりという、
何とも一筋縄ではいかないPR映画ではありました。
司会の西嶋憲生氏が指摘していたのですが、50-60年代当時、世界の実験映画の
状況を見ても、スポンサーがつき、35ミリ、カラーで撮影されているという実験映画
は珍しいのではないか、ということでした。
(松本氏はこの後、数年間いわば「干され」てしまったそうなので、
これらのような実験的なPR映画が存在するのは、本当に特別なことだと思われます)
この後もシンポジウムは続いたのですが、記憶が曖昧な部分が多くなっているので、
ひとまずメモとして、ここまで残しておきます。
http://home.catv.ne.jp/hh/kcm/
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