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N様こんばんわ。

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月22日(木)00時30分31秒
返信・引用
  そうですか、アク禁ですか。
N様、苦言を呈するようですが、相手に隙を与えてはならないと思うのです。
特に掲示板では。
ですので、せめてタイトルで言うと
「花和尚なる語句を用いる池田食い扶持構成員小乗戒律信奉創価脳に対する破折1・2」
「どうやら俺は2ちゃんではアク禁になってるようだ2」
「忘れてた。」
の投稿文の表現程度に抑えて破折文を書けば、特に問題ないと思います。
内容自体は並みの創価学会員では歯が立たないと思える程見事だと思いますし、
私も大いに参考にさせていただきます。
従いまして今後の御活躍を期待するものです。

それとどうでしょうか。
N様も御自分の板を立てられてみては?
この投稿文本文記入欄の下にバーナーがありますが、
そのすぐ下に『[掲示板]』というのがありまして、
無料レンタルにて掲示板が立てられます。
 
 

忘れてた。

 投稿者:N  投稿日:2009年 1月21日(水)14時33分22秒
返信・引用
  249 :107(前スレ):2009/01/20(火) 23:08:01 ID:???
ところで神札についてですが牧口先生と戸田先生は反対して牢獄へ
それに反し当時の法主様は受け取った。
どちらが日蓮門下として正しいのでしょうか?
正宗に入った牧口先生、戸田先生は、なぜ法主様さえもが受け取っているのに、なぜ反対したのか?
もし神札が国教だからという理由であれば、その時点で誰も折伏などできるはずがなく
日蓮仏法の行者ではなくなってしまうと思いますがいかが思われますでしょうか?
もしその時点で神札を受け取る事が正しければ大聖人は幕府と妥協しあい仏法を
広めると思うのですが、いかがでしょうか?

ここからは更に個人見解ですが
もし牧口先生、戸田先生が出現されなかったら日蓮正宗はどのようになっていたのでしょうか?
牧口先生、戸田先生が出現される前は折伏が全然進んでいない状況と聞いたことがあります。
そう考えると牧口先生、戸田先生は願兼於業で日蓮仏法を広めるための救世主に思えて仕方ない。
かなり我見なのですが
========================================================

忘れてた↑

>ところで神札についてですが牧口先生と戸田先生は反対して牢獄へ
>それに反し当時の法主様は受け取った。
>どちらが日蓮門下として正しいのでしょうか?

愚問だのぅ。
当時の軍部のやりようは容赦なかった。
軍部の意向に逆らう教団はいくつも軍部に壊滅させられた。
而して、日蓮正宗としては何よりも
三宝の一翼、大聖人の分身であられる法宝の戒壇の大御本尊を
軍部の魔手から御護り申し上げなければならなかった。
『一大事の秘法(本尊の体・一大(三大)秘法)・自受用身の当体』と拝する、
戒壇の大御本尊を仏祖三宝尊(『一大事の秘法』)と拝し、
大聖人と拝する日蓮正宗僧俗門下に於いては、
軍部の魔手から戒壇の大御本尊を御護り申し上げるために、
当時の護当代日恭上人はじめ、
それこそ御隠尊であられた日亨上人や日隆上人は断腸の思いで
苦渋の決断を下して、形上、形式的に神札を受け取ったにすぎない。

では訊くが、松葉ヶ谷の法難の折、
真夜中の数千人にものぼる念仏者の襲撃の情報を
事前に入手していた日昭が大聖人を強く口説かれ、
まずは日昭が名越家領地の松葉ヶ谷の裏山へお連れして避難申し上げ、
翌日には日昭強い勧めで故郷である下総に出立されている。

この時の師匠を想う日昭の働きは日蓮門下として正しくなかったのか?
また、日昭の強い勧めで裏山に松葉ヶ谷の避難され、
翌日には下総に出立され難を逃れられた大聖人に対しても、
それが大聖人がとる行動なのか?と誹謗中傷するのか?

ましてや、神札を形上形式的に受け取ることを御決断された当時、
対象は生身の大聖人ではなく動かない戒壇の大御本尊なのである。

君の言ってることは一場面を見て評価して、
「どうなのだ?」と言ってるだけのことである。

つまり、君にとっては、
どんなに能勝の根源の戒壇の大御本尊を壊滅させられようとも、
また、代わりの御本尊を安置すればいいと短絡的思考で
考えてるだけじゃないのか?

戒壇の大御本尊を代わりなし大聖人と拝している日蓮正宗にとっては、
日昭が大聖人を懸命に御護りしたように、
師匠である大聖人の分身・戒壇の大御本尊を
何がなんでも御護り申し上げる。
それが宗門のお役目の1つであり、心情である。
それは広く言えば日蓮正宗信徒法華講も同様である。
これが何よりも優先されて外護する立場の信徒として当然の義務だ。

小松原の法難の折は大聖人の御命を懸命に御護り申し上げるため、
鏡忍坊や工藤義隆など数名が、
地頭東条影信ら率いる念仏宗徒ら襲撃に対抗し
死身弘法の精神から尊い命を落とされた。

それをなんだ?当時の牧口と戸田は?
神札を受け取らないことが大聖人門下として当たり前だと?
ふざけたことも休み休み言え。

当時の牧口・戸田両名の取った行動は、
一見すれば日蓮門下として褒め称えられることだが、
大聖人の分身と拝する戒壇の大御本尊を蔑ろにし、
軍部の魔手が及ぶかもしれない危機の状況下で、
戒壇の大御本尊を門下として大聖人と拝することができず、
神札を受け取らないという我見勝手で
戒壇の大御本尊を危機に晒すような真似をしくさったのである。
要は大聖人門下として、また、弟子として、
大聖人を見捨てた行為なのである。

よって、弟子として大聖人の分身・戒壇の大御本尊を
『ただのモノ(by池田)』として捉え、
我見に走って暴走した牧口・戸田両名は
軍部に捕縛されて監獄に押し込められ、
牧口に至っては死に方も選べず、監獄死したのである。

池田食い扶持構成員にとって牧口・戸田両名の取った行動が
大聖人門下として英雄扱いでもそれは元々法華講の俺からすれば、
それは一場面を捉えただけのただの愚見というものだ。
いくら俺が述べたことを言い分けだ、と喚いたところで、
これが現証というものだ。


どちらが当時の状況下で真の大聖人門下として正しい行動なのか、
大聖人と大聖人門下の史実から鑑みても解ることだ。


>正宗に入った牧口先生、戸田先生は、なぜ法主様さえもが受け取っているのに、なぜ反対したのか?

状況も判断せず我見暴走した結果だ。


>もし神札が国教だからという理由であれば、その時点で誰も折伏などできるはずがなく
>日蓮仏法の行者ではなくなってしまうと思いますがいかが思われますでしょうか?

そういうのをカルト信者というのである。
君が松葉ヶ谷の法難の折の日昭の立場だったら、
どういう行動をとったのか考えてみろ。
また、小松原の法難の折の鏡忍坊工藤左近義隆の立場だったら、
どういう行動をとったのか考えることだな。

どちらの法難も大聖人の御命の危機只中の状況下である。
この法難が起きる以前は大聖人も門下も
大聖人に小難は数知れずあったが、折伏は普通にされていた。

神札を形上形式的に受け取られた当時、
軍部に反抗して壊滅させられた教団は幾つも存在している。
自ら動かれぬ戒壇の大御本尊に
軍部の魔手が伸びる可能性が大いにあった状況下は、
大聖人当時の松葉ヶ谷の法難・小松原の法難に於ける
大聖人の御命に危機が及んでいる状況下と符号する。

要するに牧口・戸田両名が取った行動は、
大聖人門下として弟子として日蓮仏法なる行者の行動ではないわ。
腹で茶がわくのぅ。


>もしその時点で神札を受け取る事が正しければ大聖人は幕府と妥協しあい仏法を
>広めると思うのですが、いかがでしょうか?

愚問。
大聖人は生身のお体をお持ちであったからのぅ。
自ら動かれぬ戒壇の大御本尊と違って
大聖人は自ら動かれることがでる生身のお体であった。
その差だ。


>ここからは更に個人見解ですが
>もし牧口先生、戸田先生が出現されなかったら日蓮正宗はどのようになっていたのでしょうか?
>牧口先生、戸田先生が出現される前は折伏が全然進んでいない状況と聞いたことがあります。
>そう考えると牧口先生、戸田先生は願兼於業で日蓮仏法を広めるための救世主に思えて仕方ない。
>かなり我見なのですが

これも面白れえ愚見だのぅ。
歴史というものにまるで無知だのぅ。

熱(厚)原の法難を知らんのか?

そして、
宗教統制の取られていた江戸時代には寺社奉行まであったが、
1つの例を挙げればその頃まで金沢には一ヶ寺も
日蓮正宗(富士派)の寺が存在していない中で、
加賀藩の藩中には一説には千数百とも言われる
加賀藩信徒がおられたのである。
加賀藩は大石寺信仰の信徒の折伏を重く見て、
大石寺信仰禁止令を発令し、
加賀の信徒を多数牢獄に押し込め、
その内の数人は処刑され尊い命を落とされた。
これを宗史でいう金沢法難という。

また、加賀藩の家臣の中にいた信徒は参勤交代で江戸に向かう途中、
真夜中に宿舎を抜け出し、
大石寺まで自力で走って参詣したというのもあまりにも有名な史実。
これを宗史では『抜け参り』と称する。

はてさて、創価史において、
監獄に入れられて餓死した牧口(死に方も選べなかった所以)他、
命を落とすほどの法難を受けた人間がいるのか?

こう言えば時代が違うと言いたいか?
それと同じことを君が愚問を発している。
時代背景が違うんだよ、時代背景が。

創価が日蓮正宗信徒として増やした時代はいつだね?
信教の自由が保障されている昭和戦後だろうが。
文明も発達真っ只中の高度経済成長期だろうが。
大正時代まではなかった通信手段もあり、
交通手段も発達している昭和戦後だろうが。

大正までの日蓮正宗僧俗史と昭和戦後に増やした創価と
一緒に論じるほうが論外なのである。
どうしてこうも池田食い扶持構成員はアフォ~ばかりなのか。

反論があるなら訊いてやるぞ。
 

どうやら俺は2ちゃんではアク禁になってるようだ1

 投稿者:N  投稿日:2009年 1月21日(水)12時31分30秒
返信・引用
  夕べから書き込みしようとすると「アクセス規制中です」と表示されてしまう。

どうやら私のカキコに反論不能で苦虫噛み潰したようなバカの
あのスレ関係の常連池田食い扶持構成員共が
2ちゃんに泣き付いたらしい。

よって、すまないけど、あのスレで返信しようと思ってたものをここにカキコさせていただく。


>>234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 21:19:44 ID:???
>>230
揚げ足とるのかね。
大聖人の御書に「漢文」で書かれた御書はない。
知らなかったのかね。

>堀上人編纂の御書全集は宗門が全く関与していませんから日蓮正宗の御書とは呼べない。
話の流れではそうなる。日蓮正宗大石寺が出版した御書ではない、との意味だ。
============================================================================

>揚げ足とるのかね。
>大聖人の御書に「漢文」で書かれた御書はない。
>知らなかったのかね。

無知よのぅ。
代表的な御抄として立正安国論(建治の広本)の原文が漢文だ。
真蹟所在 京都本圀寺蔵
知らなかったのか?


>話の流れではそうなる。日蓮正宗大石寺が出版した御書ではない、との意味だ。

はあ?

▼「堀上人編纂の御書全集は宗門が全く関与していませんから日蓮正宗の御書とは呼べない。」

これを↑どう読めば万人がこう解釈してこう読めるんだ?↓

■「話の流れではそうなる。日蓮正宗大石寺が出版した御書ではない、との意味だ。」

こんな稚拙な言い訳はみっともない↑


236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 21:47:59 ID:a8TuOSvY
>>227 まったくだ。
切り文教学で喚き狂うSとか、ギャハハハ(__)ノ彡☆バンバン!!(__)ノ彡☆バンバン!!とか

法華講は大聖人の遺戒どころか社会人としての常識すらないヤツばかりだよ(笑)
========================================================================
 ↑やはりな。
俺が>>211で予告しておいたとおりだのぅ↓

==================
俺のまっとうな破折に反論不能なのが
『洗脳創価脳池田食い扶持構成員』ということだ。
申し開きも出来ねえ、かと言って、自分とこの掛け軸を正当化も出来ねえ。

そうだなぁ、強いて言ってアノ連中ができることと言えば、
どうでもいいことについて呟いたり、
なんとか反論できそうなところをpick upして喚くか、
はたまた、せいぜいできることと言えば、
論点のスリカエ、質問返し、言い訳、言い逃れ、遁走、こんなことくらいだ。

真っ向から反論なんて出来ねえ連中よ。
==================

よほど反論出来ないのが悔しいと見える。爆。
反論不能をゴマカスのにヒッシヒッシの負け犬の遠吠えよな。
悔しかったら反論してみ、ほれ ⇒ >>175>>183>>184>>185>>186>>188>>204>>205

アワレよのぅ。呵々大笑。ギャハハハ(__)ノ彡☆バンバン!!(__)ノ彡☆バンバン!!
 

どうやら俺は2ちゃんではアク禁になってるようだ2

 投稿者:N  投稿日:2009年 1月21日(水)12時30分46秒
返信・引用
  248 :107(前スレ):2009/01/20(火) 23:05:49 ID:???
>>94
ここのスレ法華講さんずいぶん増えましたね。
切り文教学か、、、まさに俺のことかなw

>「法華を、心得たる人、木絵二像を開眼せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死するに
>其の身に鬼神入るが如し」と言われています。
>開眼供養されない、お曼荼羅には、このようい鬼神が入ると大聖人様は仰せなのです。

それはこの文をどう解釈するかと思いますね。では法論せよといわれてもわからんけどw
だけどSさん達の理由を聞いても、なるほどーって納得できないんですよね。
なぜかというと、繰り返すけど
正宗側の言い分は”南無妙法蓮華経”を唱えるだけでは、罰になるといっているんですね。
そこには法主様の開眼が必須条件ですから。
でも逆にいえば、それほど最も大事なことをなぜ弟子に詳しく教えないのでしょうか?
そもそも御書にもあまりにも開眼の箇所が少なすぎます。なんででしょうか?
もし単純に正宗法主様の開眼儀式をしなくては罰になるなら、
この開眼についての詳細が”南無妙法蓮華経”についての御書に記載ある以上に
もっと記載があるはずです。
仏でない法主様が開眼認識を誤った場合は民を救うはずの仏法は罰になるのですから
大聖人はそんなリスクを起こすとは思えません。

ここの納得できる理由がないと私は納得できないんですね。
開眼についてはやはり「法華経で行うべし」ならつじつまが合ってしまうと思うが
大事なことは法主様の開眼でなく、信じて”南無妙法蓮華経”を唱えることが最も大事だと思いますけどね


249 :107(前スレ):2009/01/20(火) 23:08:01 ID:???
つづき
そして、ますます我見で申し訳ないが
俺には法主様の一師相伝は日蓮仏法を途絶えることがないように
という目的であるように思えてしまうのだが。
そこで法主様限定で罰、功徳が決まるとはとても思えませんね。
その文証は?といわれると困るけどw
==================================================================
>正宗側の言い分は”南無妙法蓮華経”を唱えるだけでは、罰になるといっているんですね。
>そこには法主様の開眼が必須条件ですから。

当たり前だ。

>でも逆にいえば、それほど最も大事なことをなぜ弟子に詳しく教えないのでしょうか?

釈尊の時代から、世間的に言えば一子相伝、
仏法で言えば唯受一人、上行菩薩にしか、
『一大事の秘法(自受用身・一大(三大)秘法・本尊の体)』の法体を
付属していない。
大聖人は肝心なところで「秘すべし」「口伝」と仰せである。
この「秘すべし」「口伝」の内容に立ち入った御抄など皆無である。
それが仏法上の定義である。
それを「なぜ弟子に詳しく教えないの」だと?
そんなことは凡眼凡智の君が一生悩んでいればいい。


>そもそも御書にもあまりにも開眼の箇所が少なすぎます。なんででしょうか?
>もし単純に正宗法主様の開眼儀式をしなくては罰になるなら、
>この開眼についての詳細が”南無妙法蓮華経”についての御書に記載ある以上に
>もっと記載があるはずです。

そもそも御書は信徒対象に編纂されたもの。
大聖人か時の御法主上人さえ把握してれば良いもの。
御書の御抄を与えられた対告衆の大半は信徒宛。
ましてや身延の五老僧が多数の御抄を焼却したり漉き返したりしている。
そういう関係から開眼を仰せの御抄が少なくて当然。
こんなことはこれらのことを認識していれば、
御書収録の趣旨がどういったものなのかバカでもわかる。
史実に暗い上に少々頭の回転が鈍いようだな。


>仏でない法主様が開眼認識を誤った場合は民を救うはずの仏法は罰になるのですから
>大聖人はそんなリスクを起こすとは思えません。

ほほう。愚見よのぅ。
初代法主・久遠即末法の大聖人が人本尊にして御本仏として、
内証・一大事の秘法を以って三世を見渡すことがお出来になるのに、
それができないただの凡人だと思っておるのか?
君にかかると大聖人もただのそこらの教祖になる下がるらしいのぅ。

「民衆を救う仏法」だからこそ、
前身の上行菩薩の時に釈尊から一子相伝・唯受一人の
神力口伝結要付属で受けられし
『一大事の秘法(自受用身・一大(三大)秘法・本尊の体)』の法体を
代々の御歴代上人に付属し相伝して流伝させてこられたのである。

確かに時の御法主上人は御本仏ではない。
言うなれば佐前までの大聖人に近いお立場である。
大聖人が佐前までは御本仏ではないことはわかるんだろうな?
大聖人は前身の上行菩薩の時に神力口伝結要付属を受けられ、
『一大事の秘法(自受用身・一大(三大)秘法・本尊の体)』の法体を
生身の凡身の胸中に秘し隠し所持せられた状態で
末法に御出現なされたのである。

要するに佐前までの大聖人の状態と、
『一大事の秘法(自受用身・一大(三大)秘法・本尊の体)』の法体を
受けられ所持せられる時の御法主上人のお立場は、
非常に近いお立場であられる。ということだ。

勿論、佐後の発迹顕本せられた大聖人と
御法主上人が同等とか同じ立場ではない。

寛尊は大聖人については究竟即、
時の御法主上人については相似即と教示され、
教示されてないが恐らく興尊は分真即となる。
寛尊が仰せの六即は天台所立の六即ではない。
大聖人が所立の六即である。
文証を挙げる。

「大聖人所立の六即」
一には自性清浄にして泥濁に染まらず理即。
二には華台実の三種具足して減すること無し名字即。
諸法即ち是三諦と解了するが故に。
三には初め種子より成実に至るまで華台実の三種相続して断ぜず観行即。
念々相続して修し廃するなき故に。
四には華葉の中に在りて未熟の実、真の実に似たり相似即。
五には花開き蓮現ず分身即。
六には花落ちて蓮成ず究竟即。

「寛尊釈して云わく」
今一代を以て且らく六即に配するに、宗旨建立已前は即ち是れ理即なり。
宗旨建立已後、佐州已前は即ち是れ中間の四即なり。
佐渡已後は正に是れ究竟即なり。

これはあくまで大聖人が釈尊から前身の上行菩薩の時に受けられた
『一大事の秘法(自受用身・一大(三大)秘法・本尊の体)』の法体を
所持せられた状態が前提での解釈である。



以上のことを踏まえれば次の寛尊の

若し六即に配せば、一切衆生は無作三身とは是れ理即なり。
蓮祖の門弟は無作三身とは中間の四位なり。
蓮祖大聖は無作三身とは即ち是れ究竟即なり。

は、
入信を以って理即
出家して名字即
教師となって観行即
御法主となって相似即
興尊は分真即
大聖人は究竟即
ということである。

但し、天台所立の六即は修行の状態によって各「即」が上がる
我々信徒に当てられるものである。

当然、理即は入信前、名字即は入信後、
そして勧行即、相似即、分真即、究竟即と上がっていく。


>ここの納得できる理由がないと私は納得できないんですね。

凡智で納得できるのであれば苦労はしないってのが分らんのか。
所詮習い損ないでは永遠に分らんことだ。
一生凡智で図って迷って無間地獄に行って永遠に彷徨っていればよい。

>そして、ますます我見で申し訳ないが
>俺には法主様の一師相伝は日蓮仏法を途絶えることがないように
>という目的であるように思えてしまうのだが。

そんな低次元なことではない。
大体が、君の言う日蓮仏法なるものが低次元の認識の産物なのである。
であれば大聖人の
『【教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、
  日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり】。』(既スレ出 引用)
のこの「一大事の秘法」をもって、
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ』
で顕される本尊が「正境の御本尊」なのである。

その大事な本尊の体である『一大事の秘法』を代々付属せずして、
法門法義のみ相伝しても意味がないのが分らんのか?
大聖人の法門法義の御教示は全て
『一大事の秘法』を出発点として発しているのである。
大聖人の各諸御抄もそうである。

血脈はこの久遠元初の自受用身の当体である法体が心臓であり、
三宝が有するところでもあり、僧宝が有するところでもある。
「人」に約せば、
この心臓部の『一大事の秘法』から血脈が始まるのであり、
そこからまず御僧侶に血脈が流れ渡るこれが大動脈である。
そして信徒である毛細血管に流れ通うのである。

次に能勝の根源である法宝の戒壇の大御本尊もまた
『一大事の秘法』を有しているのであり、
「法」に約せば
この法宝から各寺院の御本尊に流れ渡るこれが大動脈であり、
そして各家庭の御本尊である毛細血管に流れ通うのである。

この血脈の次第無くして血脈が流れることは
仏法の道理としてあり得ないのである。

故に学会の「大聖人直結」なるものはカルト論理の絵空事、
妄想の類でしかないのである。
況や、学会の偽造掛け軸本尊をや、である。
 

N様御投稿有難う御座います。

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月20日(火)20時35分17秒
返信・引用
  N様の破折のとおりです。
私も以前似たような破折をしたことがあります。
他板でですが。
それを花和尚などとインポート語句を用いて時の御法主上人様を誹謗中傷するのは謗法以外の何者でもありません。

それから2ちゃんのスレ閲覧しました。
あちらの板は細かく論じるには不便ですよね。
どうぞ、こちらの板を御活用下さい。

また、それ以外のことでもどうぞご遠慮なく御投稿下さい。
 

花和尚なる語句を用いる池田食い扶持構成員小乗戒律信奉創価脳に対する破折1

 投稿者:N  投稿日:2009年 1月20日(火)13時54分5秒
返信・引用 編集済
  この投稿はこのレスから下のレスに続いてるので、
この投稿から読まれるよう願う。

俺は2ちゃんから来たものでカキコNo.175、184、185、186のカキコをした者で
ちぃと長文になるためこちらに投稿させてもらいます。

>花和尚

ほほう。
教学に無知な池田食い扶持構成員が何か言うておるのぅ、藁。

大聖人は御書の至る箇所で小乗戒律を徹底的に破折されておられる。
また、末法は無戒で、大聖人は御自身を無戒の僧と仰せだ。
つまりだ、末法の僧に小乗戒律は無用の長物であることを
大聖人が御教示されておられるのである。

他方、池田食い扶持構成員どもは、
聖僧と言えば小乗戒律を厳格に保つ僧侶のことだと思うておる。
大聖人違背の無知無学無教養無教学が豚作教に洗脳されておることの証左よのぅ。

末法に於いては御僧侶が肉を食しようが結婚しようが、
一切関係ねえ。
その時々の時代に合わせ、それが謗法行為でない限り、
自由なわけだ。
大聖人が御書でそれを仰せである、バカよ。




これについて反論する池田食い扶持構成員が喚き始める。
「聖僧」について学会員は、以下の3文を「聖僧」の依文とするのである。

※1『法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば
必ず輪廻生死のわざはひなるべし。但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又
捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり。末世の僧等は仏法の道
理をばしらずして、我慢に著して、師をいやしみ、檀那をへつらふなり。但正直
にして少欲知足たらん僧こそ、真実の僧なるべけれ。』
※2『よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の
大難をも払ふべき者なり。よき師とは、指したる世間の失無くして、聊のへつら
ふことなく、少欲知足にして慈悲あらん僧の、経文に任せて法華経を読み持ちて
人をも勧めて持たせん僧をば、仏は一切の僧の中に吉き第一の法師なりと讃めら
れたり。』
※3『日蓮は身に戒行なく心に三毒を離れざれども、此の御経を若しや我も信を
取り、人にも縁を結ばしむるかと思ひて随分世間の事おだやかならんと思ひき。
世末になりて候へば、妻子を帯して候比丘も人の帰依をうけ、魚鳥を服する僧も
さてこそ候か。日蓮はさせる妻子をも帯せず、魚鳥をも服せず、只法華経を弘め
んとする失によりて、妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち、螻蟻をも殺さゞれ
ども悪名一天に弥れり。』



まず、『※1』については、『法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘
れて』の文言で明確に邪宗僧を指しているのは明白である。
よって、これは小乗戒律を重んじる邪宗僧に対する皮肉を仰せであり、御法主上
人及び、宗内御僧侶は該当しないものである。

次に、『※2』については、これは当時の世相・通念等に影響されてる背景から
『少欲知足』と仰せられてるだけのことである。
その証拠に大聖人は小乗戒律について重んじるどころか、徹底的に破折せられる
御抄が御書に散見され、また、大聖人は

※『末法灯明記 九 に云はく「破戒の僧を供すれば国に三災起こる。何に況ん
や無戒をや」と。又 七 云はく「末法に持戒有らば怪異なり。市に虎有るが如
し。此誰か信ずべけん」と。』



※『正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少なし。像
法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少なく無戒の者は多なし。正法に
は破戒無戒を捨てゝ持戒の者を供養すべし。像法には無戒を捨てゝ破戒の者を供
養すべし。末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし。』

※『仏入滅の次の日より千年をば正法と申す、持戒の人多く又得道の人これあ
り。正法千年の後は像法千年なり、破戒者は多く得道すくなし。像法千年の後は
末法万年、持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。』
と御教示の通りである。また、更に

※『然るに日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず。持戒破戒にも
欠けて無戒の僧、有智無智にもはづれたる牛羊の如くなる者なり。』

と、大聖人は御自身を『無戒の僧』と御教示である。

このことから、『※2』の『少欲知足』は世相・通念等の時代背景が影響されて
仰せのことであり、肝心なのは『指したる世間の失無くして』『聊のへつらふこ
となく』『慈悲あらん僧』『経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持た
せん僧』であることが解るというものである。



『※3』についても、大聖人は当時の世相・通念等の時代背景、要するに当時の
出家に対する世間の常識に従って、御自身について仰せられたものであり、大聖
人が小乗戒律を重んじられたわけではないのは、『※2』で文証挙げて述べたと
おり。

故に、学会員が曲解するところの大聖人の聖僧観、御意を完全に無視し、現代の
宗門に『小乗戒律を重んじるのが「聖僧」だ!』などという、小乗戒律信奉者は
論外ということである。



次に学会員が三宝義・三宝一体義に無知故に持ち出す御文として、
※1『一、時の貫首爲りと雖も佛法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる
事。』

がある。
が、これについては、異流儀者を炙り出す為に日興上人が遺条に加えられてるこ
とが、学会員には解らない(笑)
つまり、上記遺条と次の遺条
※2『一、衆議爲りと雖も、佛法に相違有らば貫首之を摧くべき事。』
とセット組なのである。
そもそも、大聖人から代々に亘り、『御本仏の内証=一大事の秘法』を『唯授一
人内証相伝血脈相承付属』され、所持なさる御歴代上人が、法門法義の根幹に於
いて己義を構える、または、異流儀に走るなどということは有り得ないのである。
それは発迹顕本前までの示同凡夫の大聖人が御自身の御身で以って証明あそばさ
れているとおりである。
それが解らん学会員は平気で『※1』に飛び付いて異流儀者としての本性を露呈
する(笑)

何か文句でもあるかい(笑)


下記のレスに続く↓
 

花和尚なる語句を用いる池田食い扶持構成員小乗戒律信奉創価脳に対する破折2

 投稿者:N  投稿日:2009年 1月20日(火)13時47分32秒
返信・引用
  ※『受けがたき人身を得て、適出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして、徒に遊戯雑談のみして明かし暮らさん者は、法師の皮を著たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養ふといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云ふ名字をぬすめる盗人なり。恥づべし、恐るべし。』

この御文だけど、これはね、御法主上人及び、宗内御僧侶には該当しないの(笑)
この御文中の
※『仏法を学し謗法の者を責めずして、徒に遊戯雑談のみして明かし暮らさん者』
をよく読みなさい(笑)
「遊戯雑談【のみ】して」だよ(笑)
宗門は「謗法の者を責め」てるし(笑)、「遊戯雑談【のみ】」じゃないから(笑)
だから該当しないの(笑)それと、日興上人の
※『一、謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀並びに外書歌道を好むべからざる事。』
の遺条についても同様で該当しない(笑)



逆に大聖人は

※『故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、
この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。
されば三宝の恩を報じ給ふべし。』

と仰せ。
「無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」(笑)
だよ(笑)

まさに池田狂のやってること、君のやってることはまさにこの所業の大謗法ということ(笑)



それと学会員がよく、日興上人の遺条の

※『一、先師の如く予が化儀も聖僧爲る可し。但し時の貫主或は習學の仁に於て
は、設ひ一旦のよう犯有りと雖も、衆徒に差置くべき事。』

これを曲解して持ち出して、喚くのがいるけど(笑)
この遺条を分割すると
『先師の如く』
『予が【化儀も聖僧】爲る可し』
『但し時の貫主或は習學の仁に於ては、』
『設ひ一旦のよう犯有りと雖も、衆徒に差置くべき事』
とに分けられる。

まず『先師の如く』とは勿論「大聖人の如く」ということ。
次に『予が化儀も聖僧爲る可し』とは「日興上人の化儀も聖僧である」ということ。
次に『但し時の貫主或は習學の仁に於ては、』とは「時の御法主上人や宗内御僧
侶に於いては」ということ。
最後『設ひ一旦のよう犯有りと雖も、衆徒に差置くべき事』とは「例え一時のよ
う犯があったとしても、一般僧に下げる事」ということ。



さて、注目すべき問題の箇所は『予が化儀も聖僧爲る可し』と『設ひ一旦のよう
犯有りと雖も、衆徒に差置くべき事』の部分。
学会員は最初の箇所に「聖僧」とあって、最後に「よう犯」との語句があること
を理由に以下のように曲解即断する。

■「大聖人の如く日興上人も聖僧である。但し時の法主や宗内僧侶は例え1回で
も邪淫をした場合、平僧に格下げしろ、と言う内容だ」と(笑)

では、本文を通解する

通解
「大聖人の如く日興上人の化儀(衆生凡夫を教導する仕方)も聖僧である。但
し、時の貫主或いは宗内僧侶と雖も、例え一時のよう犯があった場合、衆徒に差
し置くべき事。」

となる。



確かに「よう犯」の「よう」の字は、「女偏」に「さんずい偏が付く淫の字の右
側部分」を合わせた旧漢字ではあり、意味としては、「みめよい・舞う」という
意味である。
但し、この「よう」の字には注意書きがあり、「淫らとは別字」となっている。

さて、そこでもう一度通解に戻るが、

「大聖人の如く日興上人の化儀(衆生凡夫を教導する仕方)も聖僧である。但
し、時の貫主或いは宗内僧侶と雖も、例え一時の「みめよい・舞う」があった場
合、衆徒に差し置くべき事。」

これで意味が通じるかと言えばNOである。

つまり、日興上人がこの「よう犯」を用いた理由としては、字の意味の如くの
「みめよい・舞う」ではなく、僧俗、或いは俗を教導育成する意味に於いて、
「大聖人の法門法義に則った教導ではなく、いい加減な教導等があった場合とし
て」用いられたのである。



故に通解としては、

「大聖人の如く日興上人の化儀(衆生凡夫を教導する仕方)も聖僧である。但
し、時の貫主或いは宗内僧侶と雖も、例え一時の大聖人の御意に違う教導があっ
た場合、衆徒に差し置くべき事。」

こうなるのである。
ところが学会員の場合、最初の箇所に「聖僧」とあって、最後に「よう犯」との
語句があることを理由として、肝心な『【化儀も】聖僧』の『化儀も』を完全無
視するのである。



別に、たまの『骨休み』くらいドンドンなさって頂きたいと思ってるくらいだよ(笑)
謗法でもなんでもないし(笑)末法無戒だし(笑)大聖人自ら御自身を『無戒の僧』と仰せだし(笑)

要は、大聖人門下宗門に関しては、小乗戒律は無用なの(笑)
我々在家と同様の生活を営まれてOKなんだわ(笑)
法律に触れない限り、人の道を外さない限り、世間に合わせて常識的に過ごすのはOKってこと(笑)

学会員は、小乗戒律を徹底的に破された大聖人の『出家観・聖僧観』の御意に対して、
真っ向から違背し、小乗戒律信奉主義をもって、
御法主上人、宗内御僧侶をあげつらうのは謗法ということ(笑)

オワカリ?(笑)
 

S様、御投稿ありがとうございます。

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月19日(月)19時43分12秒
返信・引用
  > No.4[元記事へ]

Sさんへのお返事です。

> 前スレの解答ですが、 能かいとしょかいの二義の立てわけを問うものだと
> 感じていますが、私は、二セ本尊撤廃に目標を定めておりますゆえ、ここでのあなたとの
> 法論しても致し方ないと存じ上げます、あなたも広宣流布のために、二セ本尊破折の方が
> 意義があると思うのですが? よって寄りましたが、再度2chへ戻りますね。

そうですか。
『信濃町サティアン特製偽造レプリカバッタ掛け軸本尊』を
破折するには最低限私が述べたことを把握していなければ、
破折するのは至りません。

今の貴方の破折論調は樋田氏の動画と
開眼についての文証のみと認識致しております。

まずは大聖人と御歴代上人がなされた御本尊御出現の根本原理を追求すること。
その上で樋田氏の動画なり、
私が開眼についての文証を挙げなければ、あの
『信濃町サティアン特製偽造レプリカバッタ掛け軸本尊』を
根本的に破折することは適いますまい。

そして、なぜ池田大作が創価学会が御本尊書写しないのかということと、
池田大作と創価学会に御本尊の『体』である
『一大事の秘法』の付属があるか否かを問い、徹底的に追及するのです。

すると彼らは
「御本尊の相貌自体が内証だ」
と喚いてきます。

そうしましたら、まず、それの文証と文証の通解を付けさせて下さい。

そして彼らに御本尊書写を要求して、
池田創価学会の『信濃町サティアン特製偽造レプリカバッタ掛け軸本尊』工作を
正当化できることを論じさせるのです。

そしてその後、それこそ樋田氏御用達のYou Tubeに
彼らが御本尊書写して、
その御本尊のようなモノに一心不乱に読経・唱題してる様
また、その直後に貴方様が投稿してる板に投稿してる
一連の模様を収録した動画をUPさせる要求し、
その動画をYou TubeにUPしたURLを貼り付けさせて投稿するよう要求するのです。

これで彼ら池田創価学会員は100%逃げ散らかしに入ります。
未だかつて、この要求に応えられた創価学会員はおりません。

そこまでしてはじめて破折が完了するのです。
それをすれば、リアルでの池田創価学会員破折に大いに使えます。

私はこれで池田創価学会員に負けたことは1度たりともありません。
お試し下さい。
 

(無題)

 投稿者:Sメール  投稿日:2009年 1月19日(月)18時48分53秒
返信・引用
  前スレの解答ですが、 能かいとしょかいの二義の立てわけを問うものだと
感じていますが、私は、二セ本尊撤廃に目標を定めておりますゆえ、ここでのあなたとの
法論しても致し方ないと存じ上げます、あなたも広宣流布のために、二セ本尊破折の方が
意義があると思うのですが? よって寄りましたが、再度2chへ戻りますね。
 

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 17:51:12 ID:??? に対する返信分

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月19日(月)18時05分4秒
返信・引用
  >>155

>あなたには投稿制限ほとんどない宗教板の方があってる。

その通りです。
従いましてあそこでの投稿は止めました。
 

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 17:41:06 ID:??? に対する返信分

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月19日(月)18時00分24秒
返信・引用
  >>>149
>創価板は荒らしが頻発したため規制がきついですからねえ。
>宗教板の正宗スレへ来られては?
>あちらはここより議論をするのに向いています。
>日蓮正宗2ch支部スーパーアリーナ大戦争◆第10回
>http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1216820492/

そういうことではないのです。
私の投稿スタンスには根本的に『合わない』ということです。
以下>>149からの引用。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 16:47:36 ID:???

☆(投稿制限を乗り越えるには?ビュアーを購入してギコナビなどのソフトを使うことを
お勧めします。)
と教えて下さいましたが、
そこまでしなければ対応できない板なのが
2ちゃんの板のシステムのようなので、
私はこれにてここでの投稿はやめようかと思っています。

この板は私の投稿スタンスには合いません。
私の投稿スタンスは細かく述べるのがスタンスなので、
ブツ切りにして投稿しなければならない、
しかも、すぐ投稿(アクセス)制限に引っ掛かるようでは、
マトモなやりとりは出来かねます。


つまりですね、私の投稿文は事細かに述べるため、
長文になるということです。

ところが2ちゃん板システムが改行がどうのと言い、
エラーとなって投稿制限のため投稿できない。
これでは私にとって『お話にならない』ということなのです。

投稿制限にかかってる間は投稿できませんから、
他の投稿者に投稿されてしまうと、
私は続きを投稿しても読者にとっては、
訳がわからないという分り辛いものになります。

貴方が法華講の方であれば、こちらで投稿してください。
こちらは短時間での投稿だと何秒か投稿制限にかかるくらで、
他に投稿制限の条件はありません。
2ちゃんと違い、500行まで書けますし、
文字数もたしか5000文字まで書けます。
 

2ちゃんからお越しの皆様。

 投稿者:管理人  投稿日:2009年 1月19日(月)16時59分34秒
返信・引用
  ようこそおいで下さいました。
いろいろ語らい合いましょう。

活動報告・体験談・その他疑問に思う事等々、
いろいろ話せる場となりますよう努めて参りたいと考えております。
特に御法門に関しては未熟者でありますので、
皆様と学べる場になればとも思います。
 

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