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サクラさんへ

 投稿者:HP執行部 副管理人  投稿日:2017年 3月18日(土)06時11分1秒
  通報 返信・引用
  おはようございます。

>副管理人様の仰ることは大体ですが分かってきたような気がします。
>本当にありがとう!です。

>はい、、、やはり信心の基本を学ぶ!の事から始めた方がよいでしょうね?
> 一つ分かりました!

それは良うございました。

分からない事や、疑念が晴れるという事は、つまりは、ステップアップした、という事です。
つまりは「精進した」という事です。

今一度申しましょう。

信心の基本とは、

『本尊とは全く他所に求むべきではなくて、自分自身が本尊であり、お題目を唱えるものは等しく
地涌の菩薩であって、仏(日蓮大聖人)とも変わりがないと考えることは、重大な増上慢の極みであり、
大謗法である』という事です。【『戸田城聖全集』第3巻65頁】

この指導こそが全く正しい指導です。一片の方便を使った指導ではありません。

そして、サクラさんは、この戸田先生の指導と、辻副会長の指導とを比較し、どちらが根本たる信心姿勢で
あるのか、ここにおいて理解されたでありましょう。

今一度、再記します。

御本尊様が目の前に御坐(おわ)します

迷える自分がそこに居る。

だからこそ御本尊に祈る。

すると、御本尊様(日蓮大聖人の御魂魄)が、自分の心性に入って来る。
すると、御本尊の御力と己心の仏性が冥合し、また、その功力に対して肉体も環境も感応して、
遂には、祈りが叶う、という現証がそこに顕われる。それを我々は「功徳」と言い、また、
その現証をもって、御本尊様への尊信を更に深めていく。これが信心の姿勢、という事です。

①御本尊様には目に見えない御力が具わっている。
②そして、その御力は、我々の信力行力によって顕われる。(境智冥合)
③したがって、御本尊様は自分の他以外には無い、と思うのは謗法である。

これが、今回の要点です。

本日より、上の①~③を心の中で反復するようにして下さい。


>図 仏法 ? 木に例える!    大本=幹でありこれが根本です!(根本が大事)
>そして枝葉は後から徐々に学べば良いというでしょうか?
>まずは大本=幹の根本をしっかりとまなぶべしでしょうか?

そのとおりです。

そして、その大木(根幹)こそが、上記の三点です。

しっかりと心に刻んで参りましょう。


>副管理人様、、、もう一つだけお願いがあります!
>● 日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ皆様へ
>『 我々が拝する御本尊の力と己心の御本尊(読者からの質問に答えて)』
>この先輩も尊敬できる方で(創価学会を脱会後、一人で信心を頑張っている!)
>ブログをしております。
> 実は、この記事は私がスミレでこの先輩に質問をした記事です。
>お手数ですが、、、どうか拝見してくれないでしょうか?
>この尊敬している先輩も外に力を求めるのは仏法にあらず!の指導です。
>どうかよろしくお願いします。


「日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ皆様へ」

拝見いたしました。

「考える人」というハンネでブログを開設している様でありますね。

創価学会を脱会して、一人で信心している、との事。

見るにどうやら、創価学会古来の本尊教義に反旗して、戸田先生の本尊指導をも批判し、
あげくには、一大秘法とは本門の本尊ではなく、題目の事だ、などと主張し、その信義たる
ものは、およそ、身延日蓮宗に酷似した三大秘法義になっています。

もちろん、それは間違っています。

まぁ、それは後にするとして…。

サクラさんへの回答、、

>この御文の中の「御本尊」とは、普段、我々が拝している御本尊の事ですよ。
>御本尊には、勿論、「力」があります。
>南無妙法蓮華経の文字は『即』本仏の魂なのです。

この御方も「外に力を求めるのは仏法にあらず!」と言いながら、しっかりと自分と対面する
御本尊の力用を述べておられます。

つまり「外に力を求めるのは仏法にあらず!」そして「御本尊は自分自身の心の中にしかいない」
という思考が、いかに一片の小義でしかない、という事が、ここにおいてお解かりでありましょう。

もとより、御本尊は自分自身の心の中にしかいない、のであれば、対面する御本尊など必要ないのであり、
それこそ、日蓮大聖人が出世の本懐として御図顕あそばされた御本尊の大義など、元からして不要であった、
という事になります。

もとより正論を言うならば、いかに題目を唱えようとも、正鏡たる御本尊が存在していなければ、そこに
境智は冥合せず、そこに功力は生じない、というです。つまり、単に題目を己心に対して唱えるのであれば、
それこそ身延の信者も、顕本法華の信者も、そして、立正佼成会の信者も、みんな題目を己心に向かって唱える
事が出来るのであり、その理屈がとおるならば、対象となる御本尊などは、実際どれでも構わない、という結論
になってしまう、という事です。

したがって「外に力を求めるのは仏法にあらず!」「御本尊は自分自身の心の中にしかいない!」という
信心は、まさしく一片の矮小義であり、それを信心の根本とするならば、それこそは謗法となる、という事を
しっかり覚えて下さい。

サクラさん、よろしいでしょうか。

なお、紹介されたブログの管理人(考える人=日の光)の記述においては、我ら正統・富士門流の教義について、
色々と批判し、また、本門戒壇の大御本尊に対しても痛烈に批判しております。

しかし、それらの内容を見るに、何やら創価広宣部、または、宿坊、波田地、兵頭、田口などの策謀隊の匂いも
致します。その理由は唯(ただ)一つ。創価学会員が単に組織から離れたくらいで、これだけ創価学会の教義から
脱線するなどは、まさに初手から創価学会の信心に即していなかった、という事であり、それよりも何よりも、
法華講員の樋田氏に対する強烈な対抗意識は、もはや、謀略隊の心性である、というのが、私自身の実感です。

見るに、創価脱会者が日蓮正宗に入信する事を阻止するを一つの目的としている様にも思えます。
もしや、この「考える人」とは、彼の「アンチ日蓮正宗」の管理人である「ヒデ」なる者のダミーであるかも
知れません。

サクラさん、気を付けましょう。

色々な立場の人に質問されるのも結構でありますが、事、信心に関して言えば、それは迷義の元ともなります。
ましてや、一大秘法は題目だといい、戒壇の大御本尊を矮小化し、戸田会長の指導を批判中傷などは、それこそ、
純粋な信心を惑わす邪言です。

サクラさんが尊敬する、そんな元学会員の先輩(考える人)が云く、

>「謗法の地にある御本尊には大聖人の魂は住まない」との「創価永遠の指導者」戸田の教え(詐欺説法)との
>整合性もあるかのように言えるのだ。
>(※もちろん、この戸田の教えは、驚くべき南無妙法蓮華経の御本尊の否定だが、創価狂信者やすでに頭破七分

>となった創価学会員ならば納得させられる魔の教えなのだ。)

はてさて、学会員であった者が、ここまで戸田会長を侮蔑するなどは、いまだ見た事がありませんが、こういう
元学会員を「よき先輩」として尊敬するサクラさんの信心とは、一体、どのような信心なのでありましょう。

何やら、私の方が解からなくなって来ました。

無論、南無妙法蓮華経が根本で、御本尊はその二次的産物であるかのような「考える人」の主張などは、
私からして大叱責に値(あたい)する邪論でありますが、もし、サクラさんが、この「考える人」の本尊義を
中心に考えている(尊敬している)ならば、今後、サクラさんからの質問を受けつつも、その返す刀(かたな)で、
サクラさんを破折しなければなりません。

ここに断言致しましょう。

「考える人」は、サクラさんにとって悪知識です。

日蓮大聖人の御教えからすれば、即刻、この者から離れなくてはなりません。

はたして、サクラさんには、其れが出来ますか?

今となっては、その方が重要な話となります。

先ずはお答え頂きましょう。
 
 

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